個人を特定せずに分け隔てなく意見を聴くには・・・

インスタグラムなる物をやっているのだが、ついこの前もUPした際にホウレンソウの画像を載せた。

じつは会社でよく言われるのが「報告」「連絡」「相談」が必要だという・・・

間違いだとは思わない!確かに必要ではある。

しかし、これには些かではあるが個人的に異論を唱えるところでもあり、新入社員であれば未だしも、管理者が雁首並べていて「相談」ってなに?!

管理者が自分の判断もできず相談?おかしな話ではなかろうか?

もし、その会社がまたは上司が本当に相談を求めているのであれば、問題であると経営者は認識せねばなるまい。

この「報告」「連絡」「相談」には"確認"もついてくるという事は皆さんもご存じのはず!

管理者として今更相談するのではなく、何事も責任をもって進めていくのであるからして、本来であれば「確認」「連絡」「報告」なのではないでしょうか?

「かく(確認)れん(連絡)ぼう(報告)」これで良いのだと小生は考えております。

ただし、相談も必要であることには間違いない。

だが、部下の成長を期待するのであれば、単に相談ではなく、相談する際に代案を用意していくことで己の実力向上が計れるものと思われます。

つまり!相談ではなく、確認でよいと思うのです。


相談がなされているとすればいつまでたっても成長していないわけで、上司が居なくなった際に今度は誰に相談するのでしょう?

管理者であれば部下もいる訳で、その部下から相談されて自分は「上司に相談をするから少し待ってくれ」とでもいうのでしょうか?

こんなことを繰り返していれば必然的に社内には"Yes Man"が増え続けることになるでしょう。


ある会社にお邪魔した際、社長が大きな声で社員に怒鳴りつけていました。
社員は「すいませんでした!」と社長の指示通り動いていましたが「我が社の社員は優秀で素直な社員ばかりなんです♪」と誇らしげな顔で話す社長がおりました。


彼は気づいていません! 最悪な状態であることを・・・・

組織にイエスマンが増える理由、分かりますか?

それは無責任な社員が増えているということなのです。


要するに、社長がどんなことも自分一人で責任を被ってばかりいると、社員はたとえ失敗をしてもその場で怒られることさえ我慢すればいいと、
本質的な責任を感じなくなるのです。

そして責任を負わない気楽さに慣れてしまうと、なるべく責任を負わされることがないように今度は責任者である社長の言うことを、
すべて受け入れるようになるわけです。


こうして無責任なイエスマンができあがるのです。

これを素直と勘違いしてはいけないのですっ!




確かに社長ですから全ての責任はお持ちでしょう、しかしながら任せられる社員を育てなければ何の意味もないのではないでしょうか?


これは社長だけに限りません!
上司に怒られることを避けるために上司に言われた通り、その上でミスを犯しても上司の責任・・・と責任を負う事を避けるような社員が多いと耳にします。

これは上司であるあなたの責任であり、若しくはあなたを育てた上司の責任です!

まずは自分の意見をアイデアを率直に受け入れ検討する場を作ることが本当の意味で一致団結の組織ではないでしょうか?

そのためには会社のTOP若しくは2TOPだけが直接意見を述べられる仕組みを作らねば・・・

例えば無記名で筆跡のわからないようなPCで出来るような掲示板であったり「目安箱」的なものを作るとか・・・


難しいようにも思えるが、例えば外部のブログで「〇〇目安箱」なんてものを開設し、コメントとして受付ければ管理者が許可せねばコメントは表示されないわけで・・・

そうすれば個人的な情報も漏れることなく誰の意見かもわからず率直な意見が聴けるのではないでしょうか?

勿論、自分の名前を記載することも可能だが、他人の名前を語る不届き者がいるとも限りませんので、記名されたものには本人確認しても構いませんねw


そうやって新しい風をお越しドンドン改革をしていかねば「現状を維持していても衰退あるのみ」ではないでしょうか?




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