思い出して綴ってみた...

小生には大切にしている言葉がある。

小学校5年生の終業式に恩師から頂いた言葉なのだが...

「明けない夜はない」

「峠の向こうに春がある」

...というふたつ。



その恩師は金森俊朗という先生で、当時先生は30歳くらいだったであろう。

あれから40年近くが経つということは先生は70歳!?

お元気でいらっしゃるだろうか?

数年前になるが異国の地から先生にメールを送りたくて勤め先をググって現況を報告したことがあったが、「○○○、頑張っているようで嬉しいです・・・」と昔の話を交えて返事をもらったのだがアドレスが無くなりそれっきり連絡できていない。

検索すると現在は北陸学院大学の教授をなさっておいでのようだが昨年ご病気だったようで気になるところである。


今から40年近く前、96-51というナンバーの車に乗っておられ、「先生の車は黒鯉(クロゴイ)」だ♪
と教えてくれたのが今でも覚えている(笑)


当時創立100周年という学校で自分たちは旧校舎で授業を受けていたのだが、創立100年の旧校舎はいわゆるボロ!

それでも先生は自由に使える教室で教室に蛇口まであるなんて最高じゃないか!とポジティブだったw しかし窓は木枠に板ガラス、当時暖房器具としてスチームが主流だったが我が教室はストーブ!(笑)

授業中に「今日は天気が良いから課外授業!」と近くのリンゴ園で農家の方にお話を聞いたりしたものだった。

日曜日など「源流たどり」と題して町中を流れる川に入り上流へひたすら登り源流を見つけるという父兄自由参加のイベントを行ったり・・・とにかく自由な先生で良い経験をさせてくれる素晴らしい先生だった。


"虐め"を絶対に許さず、とことん話し合い、吃音症でそれまで虐めにあっていたクラスメイトが、事業中の発表のときなどクラス全員が"落ち着いて"とか"ゆっくり"などと声をかけ発表し終わったときには「やったじゃん!」とか「すごいじゃん!」など拍手していた。


恩師に教わった生徒で、その後虐めに加担した奴などいないのではないだろうか?


虐める奴は問題外だが虐めにあう奴にも少なからず責任はある!・・・そんな風に考えていた時期があるが、他人と違うという点を個性と考えたり"なぜ?"と考えたりすることを教育することが教師として大切であり、勉学だけを教えていてはロクな大人が育たないと思うのです。


先生から頂いた言葉で今も「峠の向こうに春がある」という言葉が好きだ。


"どんなにつらくとも、その峠を乗り越えたなら、そこには暖かな春がある"


あと10日もすればいよいよ東北へ移住である。
新しい土地で新しい仕事。

やはり難しいとは思うがこの試練を"峠"ととらえ一日も早く"春"を見つけようと思う。


今回は纏まりのない内容になってしまいましたが、ふと思い出して書いてみました。



金森先生にもう一度でいいから逢いたいなぁ~....



もし、教育に携わる方がこのブログを見られておいででしたら立ち読みでも構いません、金森俊朗の著書に一度で良いから目を通してみて欲しい。


きっと得るものがあるはずである。


コメント

  1. 新天地での活躍を期待してます。
    送別会も出来なくて申し訳ない。
    m(_ _)mペコリ

    ちなみに私のナンバーは9631(クロサイ)です(笑)

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